2011年09月11日
下甑島の旅1

先日、下甑島に行ってきました。
今回の旅で、甑島列島にあるすべての集落(消滅した集落も含む)を回りきったわけですが、改めて甑島列島の面白さを感じることができた。「下甑は20年遅れている」といっている上甑島の人と会ったことがあるが、僕からしてみれば、地域力、地域らしさが問われている時代に、そんなことを言っていることのほうが、よっぽどナンセンスな気がしてならない。決して遅れているのではなく、大切にしていることのものさしが、自分たちとは違うだけなのだ。

下甑島の方言、伝統、暮らし、祭り、地理、集落コミュニティー、そのどれもが上甑島にある集落のどれとも違うことはすぐに分かった。もちろん、下甑島内にある集落もそれぞれに違いを持っていることも知る。"甑島"という一括りにされている地域の中には、列島であるが故に文化圏や生活圏が全く違うまちがあるのだから、まちごとに色んなことが違って当然なのだと思う。だからこそ、それを遅れているという言葉で一方的に表現してしまうことは、やっぱりナンセンスで正しくないような気がするのだ。
今回の旅は、いくつかの目的があった。
以前、NHKの新日本紀行というテレビで、甑島列島の特集を見たことがある。まだ、上甑島に収納小屋(シノーゴヤ)が立ち並び、下甑島に内川内小学校があった頃のものだ。そのときに流れていた三味線の音色と断崖上にある集落の風景が忘れられず、僕は下甑島の旅では内川内の三味線奏者を訪ねて歩いたのでした。
30名程度の小さな集落で、若者はひとりもいない。なにより、集落の区長を80歳を超えたおばあちゃんが担当していることに僕はとても驚いてしまった。平地はどこにも見当たらない。海が目の前にあるというのに海岸が一切見えないというような急斜面地に立ち並んでいる。水平線をみていると、ここが地球の最果てのような気さえしてくる。

あそこの家です。
内川内コミュニティの主事さんが、ご案内して下さいました。
お忙しい中、本当にありがとうございました!!
2011年08月26日
くらしとデザイン

島米5kg 2,000円

こっぱ餅:Engawa Cafe' 021にて提供中

こしき椿使用 オーガニック石鹸 630円

乾燥よもぎ 315円

上甑島の家 180円
商品の先には、いつだって島のくらしがある。
おいしい風景 と おいしい暮らし。
長いあいだ忘れられてしまった生きることの豊かさを取り戻したくて
ひとつひとつの商品に想いを馳せている。
山下商店
2011年08月18日
冬のしたく
この部屋にはアリがよく訪れるんだけど、どこかにアリの巣でもあるのだろうか。
ずかずかと私の作業スペースに入り込み、今日もMacの横で行列をつくっている。
そして、彼らは彼らにしかわからない匂い?を出しているらしいが、
そんなもの僕には見えない。
気がつくと、
朝から読もうと思っていた「幸福をみつめるコピー」の上に何のコトワリもなく通り道をつくる。
自分に与えられた仕事をしている。冬に向けての準備をしている。
この暑い夏からずっと、冬に向けて準備をしている。
そして、そこには境界が存在していないかのようにみえる。
本当はアリの世界にも
立ち入っては行けない場所みたいなものがあるのかもしれないけれど、
そんなこと僕にはわからない。
僕らはいつだって準備をしている。
アリが冬に向けて準備をするように、僕らはいつだって準備をしている。
老後の心配をしている者もいれば、
受験勉強で塾に通う若者、就職活動で路頭に迷う学生、
あるいは恋をして、結婚をして、葬式の準備をする。
僕らは、いつだって未来への準備をしている。
今日もずかずかと、私のところへやってきて
見えないものを頼りに、せっせと働いている。
そんなアリを眺めて、ぼんやりそんなことを考えた。
2011年08月01日
こしき農業青年団
自転車を降りて、遠くから坂道を上ってきてくれています。
帰省中の高校生たち3名。
そうです、自称「こしき農業青年団」のメンバーです。
みんなぶーぶーいいながら、やる気です。
いざ、甑島を耕せ!!
どうやら自腹でステーキをおごることになりそうです。
2011年08月01日
愛すべき自然
先日の土曜日、
甑島連合青年団の活動で市之浦(いちのうら)海水浴場の海岸清掃に行ってきました。
夏休みにはいり、観光客やキャンプのお客さんでごった返しているかと思いきや、
ここは超穴場スポット。
目の前の大自然を365日独り占めできて、
毎年毎年、コアなリピーターが大勢いるとかいないとか(笑)
この日は家族連れの方々が4家族ほど、
バーベキューなどをしてゆったりされていました。
とても穏やかで、これぞ日本の夏休み!的な、
いい島時間が流れていました。
キャンプ施設の利用料も驚きの格安。素敵です。
そんな、まったりなひとびとの横で脇目もふらず、
せっせと海岸清掃をしていたのが僕ら。
毎年8月の観光シーズン前に、
気持ちよく島の時間を楽しんでもらおうということで
団体独自にクリーン大作戦を実施しています。
8月のシーズン中ともなると、
現在の4家族がなんと6家族の利用まで増えます(笑)
ほんとうに素敵です。
これからも、この愛すべき甑島の自然と、
愛すべき時間を、
島の若者たちの手で大切に守っていこうと思います。
2011年07月30日
2011年07月21日
8/24 写真家・コセリエと行く〜上甑島の旅〜
突然ですが、
ゆるーい島旅の体験企画が決定しました(笑)

写真家・コセリエと行く〜上甑島の旅〜
[日 付]2011年8月24日(水)
[集合場所]甑島案内所前 ※里港より徒歩2分
[時 間]10:00~11:30
[定 員]限定10名
[料 金]3,500円/1名 ※観光ガイド+カフェ&スイーツ代など含む
[準 備]デジタルカメラ(一眼レフも可)、歩きやすい服装、帽子、タオル等
[参加予約]090-5963-1205 ※Facebook・Twitter・下記コメントでも可能。
※当企画は、KOSHIKI ART PROJECTの開催期間中に行われます。
※甑島在住者も、もちろん参加できます。
ー写真家・コセリエ さんのプロフィールー

鹿児島を代表する女性・写真家
ITO PROJECT 発起人/鹿児島美少女図鑑
第16回ナマ・イキVOICEアートマーケット グランプリ受賞等
ゆるーい島旅の体験企画が決定しました(笑)

写真家・コセリエと行く〜上甑島の旅〜
[日 付]2011年8月24日(水)
[集合場所]甑島案内所前 ※里港より徒歩2分
[時 間]10:00~11:30
[定 員]限定10名
[料 金]3,500円/1名 ※観光ガイド+カフェ&スイーツ代など含む
[準 備]デジタルカメラ(一眼レフも可)、歩きやすい服装、帽子、タオル等
[参加予約]090-5963-1205 ※Facebook・Twitter・下記コメントでも可能。
※当企画は、KOSHIKI ART PROJECTの開催期間中に行われます。
※甑島在住者も、もちろん参加できます。
ー写真家・コセリエ さんのプロフィールー

鹿児島を代表する女性・写真家
ITO PROJECT 発起人/鹿児島美少女図鑑
第16回ナマ・イキVOICEアートマーケット グランプリ受賞等
2011年07月18日
2011年07月18日
初夏の出来事
そろそろ夏本番ですね。
現在、非常に強い台風6号が鹿児島県本土に接近しており甑島航路は全便欠航です。
僕はというと鹿児島市内に足止めをくらっています。
田圃の島米たちが心配です。
頼むから、たおれるなよーーーーーーーー!!!
と、もうじたばたしてもどうにもできないので、
先日の嬉しかった出来事を、今こそご報告。
現在、5月から上甑島の里港で甑島の乾燥よもぎを販売しているのですが、その乾燥よもぎをわざわざ買ってくださった里町のS姉から素敵なプレゼントをいただきました。ふだんから天然素材をつかって布を染めているらしいのですが、わざわざ僕の乾燥よもぎで布を染めて、お手製の手ぬぐいを2つ作ってきて下さいました。
うっすらと淡いよもぎの緑が、いい感じです。
お手紙つきで、すさんだこころが(笑)きれいに洗われました(笑)
本当にありがとうございました。
・・・・・
台風ーーーーーーーーーーー!!!
やっぱり、頭から離れませんね(笑)
2011年07月18日
甑列島会議 Vol.2-3
さて、先日の甑列島会議 Vol.2とVol.3の報告です。
記念すべき第一回目の6/25 列島会議(手打集落)が台風の影響を受け延期されたため、今回のVol.2が、初めての会議となりました。会場は、鹿児島国際大学。地域創生Ⅰという講義の特別講師としてKOSHIKI ART PROJECTの事務局長である斉藤と、僕のふたりをお招きいただきました。
会場には100名を超える学生たちや、外部からの受講生たち。
その時のトークがUSTREAMにて動画が記録されていますので、見逃した方はどうぞご覧ください。ただし、画像が悪いので音声をお楽しみください。音声や動画などは、今回のように電波状況などの環境で左右されることもありますが、できるところから改善していきますのでどうかお許しを!
ちなみに、USTREAM・Twitterともに、アカウントが RETTALK に設定されており、随時情報を発信していますので気になる方は、チェック、フォローしてみてください。あと、当日、会場にいた学生たちも、自分の寝ている姿が映っていないか確認してみてください。
親御さんも必見です(笑)
その二日後、今度は天文館のマルヤガーデンズ7階にて甑列島会議 Vol.3(TenBiz×KOSHIKIart)としてワークショップを行ってきました。TenBizさんは、鹿児島のビジネスマンや学生たちの学びのコミュニティとして多岐に渡って活躍されている方々で、今回は、私たちKOSHIKI ART PROJECT(=甑島)の困り事や魅力を高めていくための企画会議を参加者全員と議論しあい、会の最後にプレゼンテーションを行いそれぞれの順位を決めるという形式で会議を進めました。
投票数の多かったチームには、甑列島会議のオフィシャルドリンクである「こしき海洋深層水 竜宮伝説ー硬度100ー」がプレゼントされることになり、皆様大変盛り上がっておりました。ご協力くださったこしき海洋深層水株式会社様には重ねて御礼申し上げます。
ちなみに、僕は6年ぶりぐらいに飲んだのですが硬度100の海洋深層水、思っていたよりも遥かにずっと飲みやすくてびっくりしました。コンビニや新幹線、ガソリンスタンドなどで時折みかける「こしき」の文字に、島を離れたときにも元気をもらっています。
会議の方はというと、たくさんの企画や提案などがありました。
参加者も、甑島を知っている人から知らない人。行った事があるひとから、ないひと。出身者のかたなどなど、いろいろな立場から甑島やKOSHIKI ART PROJECTに興味を抱いて下さったかたがたが約30名(定員一杯)参加していただきました。2時間という短い時間ではありましたが、多くの人々がKOSHIKI ART PROJECT(=甑島)のことを「自由な立場から無責任に」考え、想像し、想いを巡らせて下さいました。
心から感謝申し上げます。有り難うございました。
ひとつひとつの提案を、さらにブラッシュアップして甑島のこれからに繋げていけるように、私たちは島に住み、島を直に守っていく立場の人間としてこれからも成長し続けていきたいと思います。
甑島を言い訳にしない。
その気持ちがますます強くなった二日間でした。
甑列島会議公式サイト http://www.koshiki.info/
2011年07月13日
きゃんぱく-夏旅2011-
じわじわと甑島の夏がきてます。
皆様いかがお過ごしでしょうか?僕はすでにバテ気味です(笑)
さて、薩摩川内市では「きゃんぱく」という体験型観光プログラムとして26のプログラムを用意していますが、そこへ私たちも上甑島里町の魅力を伝えていくためにガイドメニューをご用意しています。
No.2「えんがわカフェと島内散歩〜古き良き日本の風景を訪ねて〜」
普段のバスツアーや名所巡りでは、なかなか見ることのできない集落内を、
甑島独自の暮らしを紐解きながら、ゆったりとした島時間をご案内致します。
島内散歩のあとは、昔ながらの縁側のあるカフェで甑島産のフルーツを使用した
美味しいスイーツを堪能して下さい。
何気ない日常を、ゆったり、まったり、やわらかな島旅をあなたとー
日時/8月22・23・24・25・26日 13:30~15:00
集合場所/甑島案内所(里港より徒歩2分)
定員/10名(最小催行人数2名)
料金/2,000円/1名
準備する物/帽子・タオル・歩きやすい服装
予約期限/各開催日の3日前迄

尚、当プログラム開催期間中はKOSHIKI ART PROJECTも開催されています。
アート作品巡りとご一緒にどうぞ。女性に人気の一押しプログラムです。
ご予約/090-5963-1205
2011年07月05日
甑島の未来

この島で育ち、この島を離れ、この島へ帰ってきた者のひとりとして、
この島に生まれ育ったこどもたちの成長を
地域の中で目にすることができることは、本当に幸せなことだと思った。
彼らの夢のひとつひとつや、これからの人生を想うと、僕は胸がとても熱くなる。
15歳の夢や目標なんて、
多くの大人たちは耳は傾けてくれても、
心までは傾けてくれない。
本当に些細な言葉かもしれない。ちっぽけな理想論かもしれない。
でも、僕は夢に大きいも小さいもないと想っているし、
その理想論を現実にしてあげるのが大人っていうもんじゃないかとも思っている。
時折忘れてしまうけれど、かつては僕も15歳だった。
ー
あれから10年以上も経って思うこと。
それは、そのときに想い描いた夢を追いかけてよかったということ。
がむしゃらに、走り続けてよかったということ。なぜか?は分からない。
でも、その想いがあったからこそ、今の自分があることだけは分かる気がする。
もし、あのとき挑戦していなかったら、
自分の気持ちに嘘をつき、いいわけをする毎日を送っていたかもしれない。
過去の総決算が、今のじぶんのすがただから。
だから、今の自分を受け入れたい。
これからの自分に責任を持ちたい。
ひとりの先輩として、僕が今思うこと。
ー
あと、半年もすればこの島を離れ行く中学3年生の
ふるさとへの提言をここに記しておこうと思う。
ー
人生でどれだけたくさんおいしいものを食べようと、
どれだけ美しい景色を見ようと、こころで感じた
人のぬくもりや優しさとでは心に残るものが違うと思う。
ー
こどものころから住み慣れて、安心で安全に暮らせる里で
自分のなりたい職業に就職して暮らせる方が幸せだと私は思う。
ー
僕は、里をどのまちよりもきれいにして、
里に来た人に「また来たい」と思わせるような町をつくりたいと思います。
ー
鬼火焚きなどの行事も規模が小さくなってきています。
このままでは、行事が次々と無くなってしまうかもしれません。
里の行事が無くなっていくということは、
里の良いところが無くなっていくので、かなり深刻だと思います。
ー
里の野菜が沢山はいった「しおけ」や、
里で捕れた魚の「あらだき」などがあります。
私は里ならではの料理など、里の伝統がこれからも残っていって、
沢山の人々に知ってもらえればいいなと思います。
ー
人口を増やすということは簡単なことではないが、
人口が増えると昔のように美しく、明るい活気のある島になるだろう。
むしろ、昔よりも良い島になるだろう。
こんな島をつくるには、急ぎ足で前ばかり見るだけではなく、
少し立ち止まって今まで長い歴史の中で
島の人たちがやってきたことから学ぶということも大切なのではないかと思う。
ー
私が望む将来の里は、みんな元気で、
田んぼは緑で埋め尽くされ、夏になると黄金色に輝いて、
私が幼い頃の明るい里にすみやすさを加えた町です。
ー
里は、海がキレイで、緑がいっぱいで、
食べるものも美味しいというイメージがあります。しかし、
昔の里の方が、海もキレイで、魚もいっぱい捕れたそうです。
畑を増やすと海がキレイになると聞いたことがあるので、
今、空き地になっている所や、何も育てていない畑などに何かを植えたら、
もっと海がキレイになるんじゃないかなぁと思いました。
ー
今農業をしている農家の方々を助けられる若い人たちが、
どんどん地域で農業をした方が良いと思う。
地方(本土)に行って仕事に行っている人も多いが、
これからはできるだけ地元に帰ってきて
町おこし、農業、漁業をしたら里は今よりもっと明るい里になると思う。
私の夢は、パティシエになることだ。
だから、町おこしのために、甑島でとれた野菜、塩などを使ったお菓子を作りたいと思う。
もしも、里に帰ってきたら農業も手伝いたいと思う。
もしも、帰ってこられないとしても、違う地域からも出来る町おこしをどんどんしたいと思う。
私の夢は、地元をアピールできるお菓子を作ることだ。
ー
1つ目は、里で就職できるような環境を作ることだ。
まずは、就職先を今までよりも増やすこと。
そして、就職してもらうように町全体で呼びかけをすることだ。
2つ目は、子供を増やしてもらうよう育児しやすい環境を整えること。
里は、幸いにも豊かな自然があり、育児をするには最適だと思う。
今の現状から目をそらさず、これからの里の未来のために
少しでも動いていくことが必要だと思う。
ー
今は、輸入することができるから、生活は成り立っているけれど
もし、輸入することができなくなったら生活に支障がでると思います。
そのためにも将来困らないように
今からこの現状を改善していく努力が必要だと思います。
ー
「輝きを忘れぬように」
私はこの島で15年間育ってきて、幼い頃のことは鮮明に覚えています。
元気に走り回って遊ぶ子供や、一生懸命に働く大人、その中で一人一人に笑顔があり、
幼いながらにこの島は、輝いて見えました。
この島で、私はいろいろなことを学びました。
人に教わり、自然にも語ることの出来ない感動を教わりました。
この島は、私の原点です。ここに生まれ落ちたときから、私のスタートはここにあります。
里に生まれなかったら、私は芸術がこんなにもすばらしいと思わなかったかもしれません。
絵の道に生きる人になりたいと思わなかったかもしれません。
だから、感謝してもしきれない恩が、この島にはあります。
私はこの島には「きらきら」という言葉がよく似合うと思います。
13人いる3年生がこの島に対する思いは違うと思いますが、
私にとってこの島は「きらきら」です。
少しずつ、その輝きが薄れていく島を黙ってみていることしかできない今の15歳のわたしですが、
いつか必ず、自分なりのやり方でこの島をまた輝かせたいです。
それが、私からの恩返しになると思うからです。
島を出て、大人になって、年をとったとしても、
私はこの島を忘れることはないと思います。
世界にはたくさんのひとがいて、いろいろな場所があるのに、私は里に生まれました。
せっかくここに生まれたのだから、この島で、この島でしかできないことをしたいです。
また、新しく生を受けた里の子供たちにも、
「君たちが生まれたこの里は、とてもすばらしいですよ。」と伝えたいです。
また、初めて里を訪れる人々にもこの島のすばらしさが伝わるように、
ずっとこの島を輝かせていたいです。
この島を輝かせる方法として、具体的には、
今も行われている「甑アートプロジェクト」があります。
島に美しさを与えるだけでなく、
また新たな人と人とのつながりも与えてくれるのだと思います。
こんな風に島の先輩方がしてくれたように、
私も自分にできる感謝の気持ちを込めた思いを、たくさんの芸術に変え、
この島をより一層「きらきら」させて、
育ててもらった恩を返していきたいです。
ー
僕は、この島に生きるひとりの大人として
彼ら、彼女らの声を真剣に、また、真摯に受け止めて
15歳の未来を今、この地でつくっていることを
重く、深く、受け止めたい。
2011年06月30日
甑列島会議 公式サイト

鹿児島県薩摩半島より、西へ沖合約40キロメートルの東シナ海に浮かぶ島々があります。その島々を人は「甑島(こしきじま)」と呼んでいます。そこには上甑島・中甑島・下甑島、地理的な名称としての「甑島列島」はあるけれど「甑島」という島は、地図上のどこにも存在していないのです。
いま、列島をひとつに繋ぐ藺牟田架橋の建設が進むなかで、
私たち列島民が本物のひとつになるために、何が出来るだろうか?
今こそ、列島という可能性に富んだ地域を互いに語り合い、この島の未来をひとりひとりが想い描くことで、人々の心に「甑島」という新たな島、コミュニティを刻むための会議をしよう。
http://koshiki.info/
2011年06月26日
生きることの責任

しょうがない、をいいわけにする人生を過ごさない。
ー
JRAの競馬学校を辞めてしばらくした頃、
僕は当時の学校長に手紙を書いた。
全国に約600人の受験者がいて、最終審査を合格したのはたったの15名。
馬をみたことも触れたこともないこの僕が、
決して恵まれているとはいえない「甑島」という環境から
偶然にもそこへ導かれたのだった。
あれから10年の歳月が過ぎて、僕は再びこの島の住民として生きている。
それは、何事も無かったかのように今日のすべてが流れている。
でも、時々思うことがある。
あのときのように、
本当は今日まで導かれてきたんじゃないかって。
どんなに願っても、
別の誰かの人生を生きることなどできない。
他の誰でもない自分だけの時間なんだと気がついた。
あなたは今、何をいいわけにして生きていきますか?
僕は、甑島という環境をいいわけにしないと決めた日、
この島の未来のために何だって出来るような気がしました。
すべての必然は、偶然を装いやってくるのです。
僕は、これからもその日のために
コツコツと準備を続けようと思う。
2011年06月17日
CHARITY NAE +
東北地方太平洋沖地震が発生してから早いもので約3ヶ月が過ぎた。
あの一瞬の出来事が、多くのものを失い、多くの命をも奪った。
遠く離れた東北地方へ
日本の片隅の小さな離島から想いを寄せる。
生き残った僕らに遺されたものは、何であるのか。
何も出来ない自問自答の日々。
日本の何かが大きく変わりつつある今、
僕にも、ひとりの日本人として何かのアクションが必要だった。
そして、幸運にもそれらを共にする仲間たちが
この島にいてくれた。
5月のゴールデンウィーク期間中に始まったチャリティー企画、カフェ。
そして、チャリティーライブ。
場所は、7年ほど前に惜しまれながら閉店した、お食事処「キャビン」
大雨の中にも関わらず、一日だけのオープンに
沢山の方々が駆けつけてくれました。本当にありがとうございました。
20万円近い寄付金・義援金も集まったけれど、
東北地方の復興支援を思うと、心が痛む。
これは、自分だけの自己満足なんじゃないかって、
時折不安にもなる。
現地に行き、何かチカラになりたいという気持ちも在るけれど
本当は、現実をみるのが恐くて行きたくないとも思ってしまう。
僕のすべても同じように失ってしまうんじゃないかって。
そんな弱気で、小さなチカラしか持ち得ない僕らに出来たことは
今、自分の周りにあるものを輝かせていくこと
悲しむよりも笑顔の時間をつくることなんじゃないかって。
カフェもライブもすべては、そういう時間に繋がっていたと思う。
深い悲しみを共有できたからこそ、本当の笑顔を僕はみた気がする。
笑顔って、深い悲しみや苦しみが一緒に在るから
とっても美しいんだと思う。
じいちゃんやばあちゃんたちの笑顔をみていてそう思った。
2011年06月16日
半農半漁
今月に入り、梅雨の集中豪雨で甑島の河川が氾濫しております。
田圃も池になり、みたことないような風景と化しています。
土砂崩れや冠水で、通行止めなどなど。悪いほうのドキドキです。
さつまいもの苗植えも2〜3週間遅れで、焦ってまいりました。
かなり悪いほうのドキドキです。
さて、そんな梅雨模様ですが、6月はキビナゴ漁の最盛期。
島ではきびなごのことを「じゃこ」と呼びますが、
6月は産卵期のため「子持ちじゃこ」の季節となっています。
今が、一番おいしい季節だと僕は個人的に思います。
きびなごを味わうなら、間違いなく今です!
ー
深夜1時半出港。
勝負は3時から5時までの2時間ぐらい。
漁師の腕と勘が、冴え渡ります。
僕もこの子持ちじゃこの季節だけリアル半農半漁の生活をしています。
pm22:00に就寝、am0:30に起床。
水揚げを終えてam7:00〜11:00に帰宅します。
大漁の日の朝日は、もう本当に幸せ。
生きてるって感じです。
運がよければ、イルカの群れをみることもできます。
島の漁師たちが静かに眠る頃、甑島の一日は動き出します。
ここに、こうして風土に根ざした人たちの暮らしがあることを感じながら
僕はこの島で生きていこうと、改めて思うことができたのでした。
さて、
お風呂にはいって、ご飯を食べて寝よう。
もうじき甑島のあしたがくるから。
人生は短い。
足を動かし、手を動かし、心を動かして。
精一杯生きていこう。
2011年06月08日
島米公式サイト

ようやく島米(しまごめ)プロジェクトの公式ホームページができた。
http://shimagome.jp/
できたといっても、島米の物語はこれから始まるところです。
このことが劇的に何かを変えることは無いと思うけれど、
島を離れた人々や島を想う人々、島を好きになったひとたちの
心のよりどころになれたらいいなって思います。
もしも、夢や目標を想い描くことができたなら、それはもう半分は達成していると僕は思う。
あとは、それを始め、続ける為の努力とカタチや数字、そして
ひとびとの記憶に残り続けることだと思います。
まだまだ、至らないところばかりですが、
少しずつ自分に出来る範囲からこの事業を育てていきたいと思います。
これからも皆さん応援よろしくお願いします。
2011年05月27日
2011.5.27
走れるとこまで走ったら、向こうから必ず誰か来てくれる。
心強い言葉だな、としみじみ。
ー
考えてみればこれまで、ずーっとそうだったかもしれないと思う。
15歳で島を離れて、東京で挫折して帰ってきたときも
「けんたくん、船に乗らない?」って手を差し伸べてくれた先輩。
まさに、渡りに船!的な、リアルな漁船だったけど(笑)
いまでも感謝してる15歳の漁師生活。
お金がなくて困っていた学生時代、
おい、ヤマシタ弁当買ってこい!釣りは要らん。っていう先生がいた。
350円の弁当にいつも1000円を渡してくれた。
けんたを絶対表彰台に上げたるから!そういって
連日連夜、ともに笑い、ともにぶつかりあった仲間たち。
本当にグランプリを掴んだ日の夜、僕は泣いた。
ヤマシタの作品はいつもあったかいな。
あの言葉がなければ、
いまの僕の人生はなかったかもしれない。
それはとても小さなことかもしれない、
気がつかないようなことかもしれない。
それでも、あり溢れた毎日の小さな出来事は
僕の人生をすこしずつ変化させてきたことは
まぎれもない事実だと思う。
すべての出来事は思い出せない。でも、心のどこかで覚えてる。
すべてのひとのぬくもりを。
どんなときも、大丈夫だよ。
そう言えるひとりの大人でいたいと思います。
それは僕が、助けられ、支えられ、叱られ、心から愛されてきたように。
どんなときも。
2011年05月26日
点+線をつなぐ
「デザイナーってのはね、職業じゃなくて生き方のことを言うんだよ。」
学生時代の恩師が、僕に与えてくれた言葉。デザイナーになりたい、建築家になりたい、アーティストになりたい。夢に溢れた若者たちの多い大学で、僕は悩んでいた。ジブンは何者か、ってこと。ジブンの夢ってなに?やりたいことって?
・・・何者にもなれない自分が悔しかった。
自分は「何者か?」の問いに、最近の僕は応えようとしなくなった。なんだか言葉にすればするほど、自分の言葉足らずさが、思っている以上に自分という人間を薄っぺらく感じさせてしまい、自分自身にガッカリするからだ。誰かと、何かと、他人のものさしで自分を比較していると、たまには弱気にもなる。
にんげんだもの みつを (笑)
自分で、自分が何者かを見つけるよりも、
周りにいる仲間に感じてもらう方がよっぽどリアルな僕の姿なのだと思う。
肩書きが必要なときは、自分のことを百姓という。でも、ある人は僕をデザイナーと呼ぶ。
僕が何をデザインしていると思ったのかは、その彼に聞いて欲しいと思うが、デザインと呼ぶものには常に対称がある。それは、人なのか、ものなのか、ことなのか、環境なのか、過去なのか、未来なのか。ポスターなのか、生き方なのか。甑島に関するあれこれをしているうちに、自分が何者かであることはますます分からなくなった。
でも、それでいい。いまのところ、それでいい。
自分の進むべき方向には、百姓という言葉が腑に落ちている。ひとつのことができるだけでは百姓はダメで、天気のことも土のことも、種のことも、見えない細菌のことも、人間関係のことも。手伝ったり、手伝ってもらったり。あしたのことも、きのうまでのことも。そのすべてがひとつに繋がっているから、たくさんの「点」みたいなものを大切にしていかなきゃ、大きな収穫はできない。
それは、どんな仕事でも同じことだ。
僕がこのまま農業を生業として暮らしていたいかといえば、それは違う。もちろん、美味しいお米をつくりたいし、美味しい野菜をつくりたい。そのための努力もしていく。でも、自身のやるべき姿はそこではないような気もする。僕がやるべきことは、僕自身がおいしいお米をつくって「ありがとう」と言われることではなく、「ありがとう」と言われるひとを増やしていくこと。
だから、いま僕が甑島を舞台にあれこれとしているのは、この島に可能性という希望の種を蒔いているにすぎない。わかりやすくはないけれど、きっと、そういう百姓になりたいんだと思う。
昨日、一本の電話が鳴った。
ゆっくり進行中のゴッタン(箱三味線)の復興事業に関すること。
いとこの純子と取材を受けていたANAの機内誌「翼の王国」。
その本がようやく完成したとの嬉しい報告でした。
今週中には、ANAをご利用の皆様にはお目にかかることができるかと思います。
どうぞ、空の旅を目的地までゆっくりお楽しみください(笑)
甑島の点と点は必ず、一本の太い線になっていく。
ひととの出会いに感謝して。
2011年05月25日
さつまいもとアメ
さつまいもとアメと言えば「からいも飴は冨士屋飴でーす。」でおなじみの鹿児島のローカルCM。
富士屋飴さん以外に、からいも飴を作っている会社を僕は知らない。
まぁ、そんなことはどうでも良いんですが、九州南部は、まさかの梅雨入り。
さつまいもの苗を植えるための畝を立てたかったので、もうしばらく雨は待って欲しかったよ。と、嘆いています。
晴れの日が恋しいです。
晴れのあいだに立てていた畝に苗の植え付けをするけれど、あいにくの大雨です。マルチ(ビニール)を被せていない畑は、あれよあれよと畝の土が流れていくこの寂しさ。マルチャーが欲しいです。どなたか譲って下さい。集落には1台しかありません。
ひとまず、今日から1週間は毎日雨だということで、畝を立てる作業は一時中断です。
そちらの作業は一時中断でも、季節は待ってはくれないのでお昼からはヒノヒカリ(普通米)の準備に取りかかっています。そうそう、島米プロジェクトのホームページ公開( http://shimagome.jp/ )が遅れていますが、6月上旬頃には発表できるかと思います。楽しみにされていた方には大変申し訳なく思っております。
また、島米のホームページとは別に、こしひかり・ひのひかり、どちらもご予約承っております。
ホームページでの販売は、農産物の販売サイトというよりも、地域貢献やまちおこしなどソーシャルな要素も強いので、金額的にも若干高めになっております。ふるさと納税などの行政サービスもありますが、それとは少し違った角度からふるさとを応援し、ジブンも楽しみたい!という方のために島米サイトをオープンします。もちろん、通常の値段でもお米の販売を致しておりますので、「こしひかり」「ひのひかり」が欲しいという方は、お気軽にご連絡ください。
今年から、地元のとある宿泊施設でも島米の取り扱いをして頂けることになり、少しずつですが私たちの甑島への想いに賛同して下さる方々が増えて参りました。心から感謝しています。この場を借りて御礼申し上げます。まだまだ、頑張らせて頂きますね。
さて、うまいお米と焼酎を呑むために今日も地下足袋をはきますか。