2012年01月14日
2012
2012年本年もどうぞ宜しくお願い致します。
1ヶ月以上ブログを放置していたにもかかわらず、毎日毎日気にかけてみていただいていた皆様ありがとうございました。今年は辰年ということで山下商店ものぼり竜となって・・・月なみ(笑)更なる飛躍を果たしたいと思います。
さて今月、来月、再来月とイベント予定が多くなって参りました。
その一部をご紹介いたします。

今月21・22日は鹿児島市春山町(1636-9番地)にある
MATHERuBA Cafeにて直売イベントを行います。
時間は11:00~16:00です。
桜島の見えるステキなカフェへどうぞいらしてください。

そして翌日の23日(月)は、天文館マルヤガーデンズB1Fにて
1日限りの直売イベントを開催致します。COPPA(こっぱもち)の試食・直売もしています。
時間は10:00-20:00で、直売イベントというよりも、試食してみなさんの意見を下さい!
と、いったような感じでゆる〜くやってるはずです(笑)
そして2月9日(木)は
九州の島・魅力再発見〜キーパーソン in 博多〜
と、いうわけで経済産業省のイベントに甑島から山下商店もプレゼンターとして参加致します。
http://www.kyushu.meti.go.jp/press/1201/120112_1.html
とりわけ緊張します(笑)
福岡近辺にお住まいの皆様、お会いしましょう。
でも、なんと鹿児島に日帰りなんです。
翌日は早朝の高速船で下甑島の手打へ向かいます。
なんということでしょう・・・(笑)
海陽中学校の立志式の記念講演の講師としてお招きいただきました。
演題をお願いされて・・・山下先生と呼ばれ・・・
50分の講演・・・
どうにかなりそうです(笑)
とにもかくにも今年もこんな感じですが
どうぞ宜しくお願い致します。
1ヶ月以上ブログを放置していたにもかかわらず、毎日毎日気にかけてみていただいていた皆様ありがとうございました。今年は辰年ということで山下商店ものぼり竜となって・・・月なみ(笑)更なる飛躍を果たしたいと思います。
さて今月、来月、再来月とイベント予定が多くなって参りました。
その一部をご紹介いたします。

今月21・22日は鹿児島市春山町(1636-9番地)にある
MATHERuBA Cafeにて直売イベントを行います。
時間は11:00~16:00です。
桜島の見えるステキなカフェへどうぞいらしてください。

そして翌日の23日(月)は、天文館マルヤガーデンズB1Fにて
1日限りの直売イベントを開催致します。COPPA(こっぱもち)の試食・直売もしています。
時間は10:00-20:00で、直売イベントというよりも、試食してみなさんの意見を下さい!
と、いったような感じでゆる〜くやってるはずです(笑)
そして2月9日(木)は
九州の島・魅力再発見〜キーパーソン in 博多〜
と、いうわけで経済産業省のイベントに甑島から山下商店もプレゼンターとして参加致します。
http://www.kyushu.meti.go.jp/press/1201/120112_1.html
とりわけ緊張します(笑)
福岡近辺にお住まいの皆様、お会いしましょう。
でも、なんと鹿児島に日帰りなんです。
翌日は早朝の高速船で下甑島の手打へ向かいます。
なんということでしょう・・・(笑)
海陽中学校の立志式の記念講演の講師としてお招きいただきました。
演題をお願いされて・・・山下先生と呼ばれ・・・
50分の講演・・・
どうにかなりそうです(笑)
とにもかくにも今年もこんな感じですが
どうぞ宜しくお願い致します。
2011年12月02日
こっぱもち
先日、鹿児島市で開催されたMATHERuBAZZR(直売イベント)を終えてから、よなよなこっぱもちの改良を試みておりました。直売は、頭では分かっていても結局のところ動いみなければ分からないことも山ほどあり、お客様を目の前にしていい勉強をさせていただきました。おかげさまで完売する商品も続出致しました。
甑島のさつまいも、餅米を使用したCOPPA好評につき今後も研鑽を重ねていく次第です。
さて、そんな郷土菓子「こっぱもち」は本日より甑島の里港売店にて旬発売致しました。加工品とはいえ、こっぱもちは農産物。もちろん旬の季節があります。それが、今です。島内での販売は、若干パッケージを変更させてあります。あくまで地味に変更しております。売店のお姉様(ここ大事)からのお墨付きです!「けんた、これ地味〜!!」って(笑)
皆様どうぞ、お正月に帰省された際はお買い求めください。
2011年11月25日
MATHERuBAZAAR
MATHERuBAZAAR
いつもお世話になっている鹿児島市春山町のNuff+ikiyasoobouで「鹿児島のヒトとモノの学びの場」マザルバザールが開催され、県内から13の食に関するお店が出店しました。Nuffは、日頃から島米こしひかりやオーガニック石けん、乾燥よもぎなどをお取り扱いいただいています鹿児島県内唯一の店頭販売ショップです。(2011年11月現在)
今回は、山下商店の商品だけでなく甑島のつけあげや甑風塩(SOFUEN)などの甑島ものもご紹介致しました。ともに好評ですぐに完売してしまったものもありました。もっと仕入れておけば良かったとあとから後悔(笑)その他、徹夜して製造したさつまいもの郷土菓子COPPA(こっぱもち)や上荒田のパン屋さんフランセとの共同企画として島米を使用したミルクリゾットとトマトリゾットのキッシュ2種類。もちろん島米も出品致しました。
実は、フランセの島米キッシュは、ネット上ではコシキッシュとして徐々に浸透しつつ?あります(笑)当日は、コシキッシュをめあてに会場にいらしたお客様や、たまたま見てあっ、これあのコシキッシュですか?というような感動の声をいただきました。フランセの皆様には改めて感謝です。しかも、次は甑島産の椎の木のしいたけを使用したキノコシキッシュの販売を検討しているとのこと!!
そんなギャグのようにうまいパンをお楽しみに(笑)
今回のイベントは、販売するだけでなく商品にまつわるストーリーや想いなどもお話しできたことで、多くのお客様に納得して商品を買っていただけたかと思います。催事の途中、なんで君は値札をつけないの?と、聞かれたことがありました。私たちは、なるべく商品に値札をつけないことで、お客様とお話しがしたいからなんですと答えると、商品だけでなくそこまでこだわってるんだね、近いうちに甑島にいきたくなったよ。と、いっていただきました。とても嬉しい一言でした。
ありがたいことに、販売開始の時刻になってから終了の時刻まで店頭とトイレ以外どこにもいっていないという・・・いろいろまわりたかったなと思う。最後にたべることができた指宿・谷門農場のソーセージや感謝みそは美味しかった。なにより、谷門さんご夫妻?(ここ確認しそびれたw)多分ご夫妻!いや、絶対ご夫妻!や丹羽秀樹商店の丹羽さんや、小北農場のご夫妻とお会いできたことがなによりの収穫。
そして、多くの甑島出身者や想いの深いひとびととの出会い。私、以前住んでいました。仕事で行ったことがあります。誰々の妹です。誰々の姉です。私、村東地区です(ここだけピンポイントで紹介)。TVみました。ブログみました。本当にこんなことがあるのかというような出会いの連続でした。
Nuff+ikiyasoobouのSTAFFの皆様、本当にありがとうございました!
そんな、鹿児島のヒトとモノとが出会うマザルバザール「食の恵み」秋冬。
次回は、春夏。を予定しているそうです。今からもう楽しみです。
2011年11月12日
山下商店

第一回「食の恵み」MATHERuBAZAAR
11/23(水・祝)11:00-16:00
※小雨決行・荒天中止
鹿児島市春山町「粋家創房・Nuff」敷地内にて出店!
ash Satsuma Design & Craft Fair 04も同時開催。
当日は、島米ひのひかり、こしひかり、オーガニック石けん、手づくりマルパン(限定30個?)、キャラメルソースなど。そして今回は、特別に上荒田のパン屋フランセの島米キッシュ(=通称コシキッシュ)が2種類?でるかもしれません!!
お楽しみにね〜!!!
2011年11月10日
366

オリザ鹿児島ファームへ行って来た。
現在、鹿児島県の認定農業者になるべく農業経営改善計画書を作成中。
そして法人登記、株式会社、LLCの勉強をしている。島民6000人唯一の20代百姓として、今の自分に出来ること、これから必要なことをこつこつとやるだけだ。誤解を恐れずにやる。経験がないことを言い訳にしない。まずはやってみることだ。そしたら必ず次の具体的な課題が見えてくるから。つまづくときも前つんのめりを希望(笑)
甑島にUターンして早いもので3年目を迎えようとしている。
自分に課したファーストステージの時間は、残すところあと366日となった。いよいよ最後の1年が始まると思うと緊張する。ただもうすでに、今からセカンドステージは見据えて動き始めてるから、自分のなかでしっかりと地に足はついている気はする。
甑島のおいしい風景をつくる。
2011年11月02日
全国農業新聞

先々月、全国農業新聞に掲載していただきました。
島米プロジェクトの評判は上々でリピーターが増加しています。
本当にありがとうございます。
島内価格と島外価格のダブルプライス制となりました。
見かけたらご注文ください(笑)
http://shimagome.jp/
2011年10月26日
甑島テレビ情報

来たるあさって!!
10月28日(金)夜10:00〜10:30
BSジャパン 7ch 「ふるさと発 元気プロジェクト」
http://www.bs-j.co.jp/genkip/backnumber/sato135.html
甑島のゴッタン復興にむけた取り組みを中心に放送予定です。

ちなみに、この写真はマイクを持っているスタッフがふざけているのではないです(笑)風が強かったため、体を張って風を受け止めているシーンです。ディレクターがおもわず笑って写真をとったものです。さて、いまだに1曲しか演奏できない僕たちのゴッタン復興。いいかげん、歌詞を覚えろとのクレームもはいっておりますが・・・果たしてそんな中、30分の番組は持つのでしょうか?テレビ局の編集技術に大注目です(笑)僕たちも、もちろんまだ見ていないので楽しみです。
2011年10月26日
東京

長崎空港を後にして、僕は、東京羽田へ向かう。
毎回のことだけれど、相変わらずの友人が空港まで迎えに来てくれるという待遇のよさ。彼は間違いなく素晴らしい人間性の持ち主だな(笑)久しぶりの再会の会話もそこそこに、ふたりは品川駅に向かう。夕方、六本木農園でもうひとりの友人を交えての夕食。目的は、湘南でみやじ豚の養豚をしている宮治さんの豚肉と、全国の農家のこせがれたちと出会うことだった。

翌日、東京のあらゆる百貨店をまわることにした。
それは、今の自分が立っている場所と、
これから進んで行くところをしっかりと自分の目に焼き付けるためにだ。
また来るよ、東京。
2011年10月25日
フェリーこしき






佐世保港から小値賀港までのフェリー・・・実は、以前甑島航路を走っていたフェリーこしきです。今は、なるしおという名前になって老朽化に負けず、頑張っています。久々の再会に、とてもとても感動して涙が出そうになりました。自分が15歳で甑島を離れたとき、この船でしたので、とても想いが深くこもっています。
そんな風にたくさんの甑島の出会いと別れ、旅立ちを支えて来たフェリーこしきは、ただいま小値賀島にいます。ボロボロになっていたフェリーこしき。とても勇気づけられました。そして、このフェリーこしきに思い入れのある方も多いかと思い、今回いくつかの写真をアップ致します。
2011年10月25日
無人になった島

翌日、一旦小値賀島を離れて早朝7:00過ぎ、町営船で野崎島へ向かう。途中、船は、人口31名しか住んでいないという納島(のうしま)によって郵便物を届ける。納島の小さな港にはボート(船外機)を操る漁師?のおばあちゃんがいつものように待ち構えていた。それから僕は、船に揺られること約30分、世界遺産の暫定リストにも登録されている野崎島へ降り立った。
野崎島は、今から約10年前の平成13年に最後の住民であった沖ノ神島神社の神官が離島したことで無人島になった島です。野生のシカが生息しているために、人がいなくなった今、島の至る所でシカを見ることが出来るようになりました。そして、誰もいなくなってしまった瓦礫の残る集落を歩きながら、僕はほんとうに悲しい現実をただただ見つめるばかりでした。
甑島にもいくつかの限界集落と、準限界集落があることを考えると、決して野崎島の現実が僕には他人事とは思えなかったのです。2030年には甑島里町の人口は800名ほどまで減少すると統計データがでています。それは、僕が生まれた年の人口の半分以下の数字です。その頃には甑島列島には、消滅している集落もあるのでしょうか?おそらく、今のままでは決して無いとは言い難いと思います。ちなみに下甑島では、様々な理由から既に2〜3の集落が消滅したことも記録されています。

皮肉にも、シカが棲息していることで草のほとんどがキレイに食べられてしまい、集落や棚田のその残骸だけがくっきりと残っています。その奇妙な光景は、より一層僕を感慨深くさせるのでした。まるで、火山の噴火でなくなってしまったイタリアの都市ポンペイを彷彿させるような風景でした。
実は、2005年の国勢調査では1世帯と1人の常住者が記録されています。
なぜなら、ここが無人島であった場合、定期船である船は就航できない規則だからです。しかし、廃校跡地を利用した自然学校や世界遺産の暫定リストに登録されている教会を活かしていくためにはそうせざるえないのです。また、偶然にもそのたったひとりの方にもお会いすることが出来ました。

無人になる島。無人になる地域。日本にはそういった可能性のある場所が山ほどあります。
自分が今島にいる理由を、改めて実感し、確信した瞬間でした。
2011年10月25日
小値賀島へ

豆腐修行を終えて、一路佐世保港へと向かいます。目的は、佐世保バーガー!・・・ではなく、フェリーで約2時間20分の五島列島の北部に位置する小値賀島。ちなみに、佐世保バーガーはしっかり食べました(笑)小値賀島は、学生時代からずっと気になっている島でした。その大きな理由というのが、東洋文化研究者のアレックス・カー氏が島の古民家再生プロジェクトに関係していることでした。僕も少なからず彼の著書「美しき日本の残像」などから影響を受けてきました。

島に到着し、古民家を改装した施設"親家"で1泊します。もちろんこの施設もアレックスさんが手がけたものです。ただ、食事はまた別の古民家を改修した施設へと案内されるのです。すべて、コンシェルジュ(案内人)が車で送り迎え。酒蔵を改修したレストランに到着すると奥の座敷へ案内され「こちらのコースで使用されているお野菜、お魚のほぼすべてが小値賀で穫れた新鮮なものを使用しております。」と当たり前のような一言。

宿もレストランもお客様への小さな配慮があちこちになされており、スタッフの動き、宿泊、体験の仕組み、様々な角度から勉強することが出来ました。なにより古民家の施設を通じて小値賀島のファンになっていく自分を感じられたことが一番良かったのだと思います。そして、やっぱり一番感動したのは民間の人々の協力と行政の熱意でした。それは、市町村合併を選ばなかった小値賀島民のプライドだったのかもしれません。
市町村合併をした甑島列島。けれども、歴史にもし、はありません。
自分の故郷、自分の仕事を改めて考える機会となりました。
2011年10月25日
豆腐修行

さてさてブログを放置して約1ヶ月。
そのあいだ、いくつかのことがあったので簡単にですが記事?記録?のようなものを掲載しようと思います。まずは、先日長崎県へと行ってきたときのことを書こうかな。最近、しょっちゅう島にいないのであいつは畑も草だらけで何してるんだ!?と、噂されているころだと思いますので、せめてブログにでも活動の足跡を記しておこうと思います。
この2年間、甑島で豆腐やを開業するという目標のひとつに向けて着実に進んできたところですが、島のひとからは、まだや?まだや?と、何度もケツを叩かれており、そろそろおしりが赤く腫れ上がってきております(笑)

今回の豆腐修行で、ある程度の流れを掴むことができたので、ようやく次のステップに進むことができそうです。師匠の大久保さんも、近々甑島へ行くと意気込んでおりました。そうなると、あとは、自分が動くだけです。どこかで、できない、動けない言い訳をさがしている自分の弱さと決断力のなさにブチ当たるとき、つくづく創業者やプロジェクトを始めるひとたちの行動力って凄いなと思います。

そんななか、若く、実績もない、資金もないような僕をいつも押し上げてくれる仲間や先輩たちがいること、大変感謝しています。
とうふや開業の目標は、甑島に帰って3年以内と決めていました。来月、いよいよ3年目が始まります。自分にとっての勝負の年になりそうです。僕は、今からもう、動き出しています。
2011年09月24日
2011年09月18日
幸せであるために
"おまえには無理だよ" という人の言うことを聞いてはいけない。
もし自分で何か成し遂げたかったら、
できなかったときに他人のせいにしないで
自分のせいにしなさい。
多くの人が、ぼくにも「おまえには無理だよ」と言った。
なぜなら、彼らは成功できなかったから。
途中であきらめてしまったから、
だから、僕にもその夢をあきらめてほしいんだ。
不幸な人は不幸な人を友達にしたいんだ。
決してあきらめては駄目だ。
自分の周りをエネルギーに溢れ、
しっかりとした考え方を持っている人で固めなさい。
自分の周りを野心で溢れ、プラス思考の人で固めなさい。
近くに憧れる人がいたら、その人にアドバイスを求めなさい。
君の人生を考えることができるのは君だけだ。
君の夢が何であれ、それに向かっていくんだ。
君は幸せになるために生まれてきたんだから。
マジック・ジョンソン
ー
>不幸な人は不幸な人を友達にしたいんだ。
夢を叶えた者だけが切り取られ、
華やかに取り上げられてしまう世の中だけれど
決して夢を達成できなかった人を「不幸」というのではないと思う。
不幸な人というのは、夢を叶えられなかった人のことではなく
挑戦する心を持った人々を応援できないことだと知る。
今、僕はたくさんの人たちに支えられ、見守られ、応援されている。
本当に心から感謝している。
いつか僕が年をとったとき、
自分が今こうして多くの人々に支えられているように、
次の時代へ挑戦する彼らを心から応援したいと思う。
僕は一度も不幸になったことがない。
それは不幸とは「なる」ものではないと感じてきたからだ。
たくさんの人たちが愛してくれたから、
どんな状況にあっても、それを不幸だと感じたことはない。
幸せになるためではなく、幸せであるために。
それが、大事だ。
もし自分で何か成し遂げたかったら、
できなかったときに他人のせいにしないで
自分のせいにしなさい。
多くの人が、ぼくにも「おまえには無理だよ」と言った。
なぜなら、彼らは成功できなかったから。
途中であきらめてしまったから、
だから、僕にもその夢をあきらめてほしいんだ。
不幸な人は不幸な人を友達にしたいんだ。
決してあきらめては駄目だ。
自分の周りをエネルギーに溢れ、
しっかりとした考え方を持っている人で固めなさい。
自分の周りを野心で溢れ、プラス思考の人で固めなさい。
近くに憧れる人がいたら、その人にアドバイスを求めなさい。
君の人生を考えることができるのは君だけだ。
君の夢が何であれ、それに向かっていくんだ。
君は幸せになるために生まれてきたんだから。
マジック・ジョンソン
ー
>不幸な人は不幸な人を友達にしたいんだ。
夢を叶えた者だけが切り取られ、
華やかに取り上げられてしまう世の中だけれど
決して夢を達成できなかった人を「不幸」というのではないと思う。
不幸な人というのは、夢を叶えられなかった人のことではなく
挑戦する心を持った人々を応援できないことだと知る。
今、僕はたくさんの人たちに支えられ、見守られ、応援されている。
本当に心から感謝している。
いつか僕が年をとったとき、
自分が今こうして多くの人々に支えられているように、
次の時代へ挑戦する彼らを心から応援したいと思う。
僕は一度も不幸になったことがない。
それは不幸とは「なる」ものではないと感じてきたからだ。
たくさんの人たちが愛してくれたから、
どんな状況にあっても、それを不幸だと感じたことはない。
幸せになるためではなく、幸せであるために。
それが、大事だ。
2011年09月17日
aozora marche

ーaozora marcheー
2011年10月22日(土)13:30〜17:00
ラフィーユ前 駐車場にて
※雨天時は店内にて開催予定!
◎出展予定
手づくりジャム
ケーキ
椎の木のしいたけ
バック・小物
服
オーガニック石けん
アクセサリー
いちこドレッシング
陶器(サイトウ工房)
手づくりパン
島米
アロマづくり体験
フェイシャルマッサージ(3名様限定)
☆☆☆
ご来場者の皆様には、ラフィーユ・オリジナルブレンド、
2種類のハーブティーをご用意してお待ちしております。
2011年09月13日
下甑島の旅4

あぁぁーーーーやばい。
寝坊した!!!!
早朝6:27発の長浜港行きのバスに乗らなければ、手打から長浜までの便はない。
僕が目を覚ましたのは、6:23でした。
磯口旅館の女将さんの声で起こされ、ハッとした!
寝ている間も、波の音が心地よくて・・・ついつい気持ちよく寝てしまったなぁ
なんて呑気なことをいっている間もなく、寝起きのそのままの状態で走る。やべっ、会計も済ませてない。
あせる。あせりまくる。
そのドタバタ劇とは対称に、厨房でほほえんでいる野崎夫妻!
けんたくん、ほいっ!手渡されたのは、嬉しい嬉しいおむすびでした・・・
そのまま走って海岸へ出てバス停へ急ぐ。
息はぁはぁで、バス停に駆け込み、まもなくバスがやってきた。
よかった!まにあった!そんなこんなで、今回の下甑島の旅は終わるのでした。
写真は、フェリーニューこしき内での朝食風景。
また行くよ、下甑島。
2011年09月13日
誰かの記憶に残ること

今から5年ほど前、当時ランドスケープデザイナーとして関西を拠点に活動されていた山崎亮さんと出会うこととなった。僕は京都の芸大で建築(しかも、その分野のなかの極めて地味な地域デザイン)を専攻している貧乏学生だった。
ある日、そんな僕のいる教室の"横の教室"に非常勤講師でやってきたのが山崎さんでした。今やテレビや雑誌、新聞など多岐に渡って取り上げられるほどのご活躍をされており、あの頃に有名になるというそれを知っていればお近づきになりたいと思った人は多いはずだ(笑)
ちなみに僕は、その当時に山崎さんと話したのは1度だけ。
しかも、鹿児島の甑島と言う島からきました。と、いうような他愛もないような会話だったような気がする。
本当はもっともっと話したかったのですが、実は山崎さんが面白い取り組みをしていることへの嫉妬心からなかなか近づけなかった(笑)これは、のちに語られることになって二人で笑ったのですが(笑)当時の山崎さんは、ホヅプロという製材所でのプロジェクトに熱心でした。

僕は、学生時代の研究課題のほとんどに甑島を設定して4年間を費やしていた。教授からは、研究課題が提出されるたびに言われていた「ヤマシタは、また甑島か。」また甑島か・・・と。卒業制作の最後のテーマも、また、甑島だった。
ただ、僕は甑島が好きだからすべてのテーマを故郷にしてきたのではなく、ほかのどのまちをテーマにしてもリアリティが湧かずに、自分の中のやる気スイッチがはいらないという理由からでした。だから、どちらかといえば、大きな視野をもって世界をみれないというかわいそうな学生だったのかもしれないな(笑)

また甑島・・・のおかげで、僕は沢山の人びとに自分の名前や存在、甑島のことを覚えてもらえることができた。今思えば、これは、本当に幸せなことで、ラッキーなんだと思う。結果的に山崎さんとの再会もキーワードはやっぱり甑島だった。
天文館マルヤガーデンズの4階で再会を果たした瞬間に、山崎さんが僕に向かって言った。
おぉ、君かぁ〜!甑島のヤマシタくんときいて、どっかで聞いたことあるよなって思ったんだよ。
正確には、山崎さんが自分自身に向かって確かめるように言ったのだけれど。

誰かの記憶に残るということはとても幸せなことだ。
毎日毎日たくさんの出会いをもらい、名刺を交換したり、メールを送ったりする。けれど、そのひとが何者かまでは覚えていないことも多くある(ごめんなさい、僕は名前と誕生日を覚えるのが苦手です。つい、先日も母の誕生日をど忘れしていました(笑)私の失礼を許してください(笑))
学生時代の自分の行為が、今日の自分を動かしてくれている。出会わせてくれている。
以前、岡野工業の社長が俺は常々5年先のことを考えているから、今は5年前の仕事で飯を食っていると言っていた。そんな風に自分と置き換えてかんがえると、今の自分が未来の自分を動かすことになるのかもしれないと納得。それは、学生時代の自分が、今の自分の生き方を定めてきたように。
列島全体、あるいは薩摩川内市の甑島としてのコミュニティをどうしていけばよいのかをずっと考えてきたから、山崎さんとの出会いは自分にとって偶然のようで必然なことだった。記憶に残る、そんな自分であり続けることの大切さを知った気がしました。
2011年09月13日
写真・回想録








過日開催された写真家・コセリエと行く〜上甑島の旅〜
鹿児島市内からおふたりの方にご参加いただきました。
今回、このようなまちあるきのガイドは初めての取り組みでしたが、お客様から高い評価をいただくことができて一安心いたしました。プログラムの最後には、自分で撮ったたくさんの写真の中からお気に入りの1枚を選び、ポストカードにしてお渡しするなど、大変喜んでいただきました。その場でお手紙を書いて、甑島滞在中にポストへ投函されたそうです。
また、次のご案内が楽しみです。
2011年09月12日
下甑島の旅3

今回の宿泊先は、甑島列島最南端の手打集落。
毎年、この時期になるとたくさんのウミガメが産卵にやってくる砂浜と、
玉石垣のつづく武家屋敷通りのある小さく美しいムラだ。
海には、テトラポットが設置されていないために水平線もきれいに見える。
下甑島の海岸にはテトラポットが少ない。
上甑島は至るところテトラポットだらけ。
海洋土木に携わる大きな会社が無かったことから、周回遅れのトップランナーになったのか?
それとも、ウミガメを守るため?どちらにしても、視界を遮るものがない海の風景は美しい。
ー
さて、海が目の前という磯口旅館の野崎さんに連れられて、手打漁港へ向かう。お目当ては、水揚げされたばかりのアカハラのカンパチ。下甑島の漁師さんが宇治群島のあたりから一本釣りしてきたものだ。ちょうど、その漁師の家族やお孫さんらしきこどもたちが港へ出迎えにきているところだった。

漁師さんが船の上から里(上甑島)で何をしているかと聞くので、農業をしているというと・・・初対面の僕に対して「農業?農業はやめたほうがいい。島で農業するなんてむりだ。」そう、挨拶代わりに投げつけられた(笑)ここだけの話、2年間上甑島で言われつづけたことを、下甑島でも当たり前かのように言われて、僕はなんだかすっきりしてしまった。
そのあと、野崎さんの一押しスポットの灯台へ案内してもらった。
見渡す限り海、海、海、心地いい風が吹き、ほんとうに素敵なところだった。
甑島民とはいえ、知らないことが多すぎる。上甑島に住んでいる僕は、ふだん行き来の無い下甑島のことなど知る機会は滅多に無いのだから、こんな風に地元のひとに案内してもらえるなんて有り難い。灯台もと暗しってことですね・・・うまい!!
カンパチのことです(笑)
2011年09月11日
下甑島の旅2

海岸でみつけためがねのフレームをつけて遊んでいるのは、私です(笑)
そんなことはどうでもよくて・・・
甑島列島の随所で見る事の出来る断崖の素晴らしさを知って下さい。断崖フェチなら間違いなく下甑島がおすすめです。本日の断崖画像はあえて1枚。しかも、この1枚にしておきます(笑)。僕は、上甑島に住んでいるため比較的なだらかな山々に囲まれて生活しています。そのせいもあってか、下甑島の急な断崖や山を見上げると、時おり恐怖心に似た感情に抱かれてしまいます。

自分のチカラではどうにもできないような、自然の持つ壮大なエネルギーに圧倒されてしまい、たちまち自分が小さな動物であることを自覚してしまうのです。ヒトという群れの喧噪から離れ、ひとりで自然の中に身を置く事はとても恐い体験です。でもそれは、今の自分の暮らしの温かさや素晴らしさを知る事でもありました。どんなに僻地とよばれる場所においても、人々が集い、家族をつくり、ムラをつくった意味がほんの少しだけ分かったような気がしました。
そんな、下甑島の西海岸の時間でした。