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列島会議

2011年10月25日

無人になった島

無人になった島

翌日、一旦小値賀島を離れて早朝7:00過ぎ、町営船で野崎島へ向かう。途中、船は、人口31名しか住んでいないという納島(のうしま)によって郵便物を届ける。納島の小さな港にはボート(船外機)を操る漁師?のおばあちゃんがいつものように待ち構えていた。それから僕は、船に揺られること約30分、世界遺産の暫定リストにも登録されている野崎島へ降り立った。

無人になった島

野崎島は、今から約10年前の平成13年に最後の住民であった沖ノ神島神社の神官が離島したことで無人島になった島です。野生のシカが生息しているために、人がいなくなった今、島の至る所でシカを見ることが出来るようになりました。そして、誰もいなくなってしまった瓦礫の残る集落を歩きながら、僕はほんとうに悲しい現実をただただ見つめるばかりでした。

甑島にもいくつかの限界集落と、準限界集落があることを考えると、決して野崎島の現実が僕には他人事とは思えなかったのです。2030年には甑島里町の人口は800名ほどまで減少すると統計データがでています。それは、僕が生まれた年の人口の半分以下の数字です。その頃には甑島列島には、消滅している集落もあるのでしょうか?おそらく、今のままでは決して無いとは言い難いと思います。ちなみに下甑島では、様々な理由から既に2〜3の集落が消滅したことも記録されています。

無人になった島

皮肉にも、シカが棲息していることで草のほとんどがキレイに食べられてしまい、集落や棚田のその残骸だけがくっきりと残っています。その奇妙な光景は、より一層僕を感慨深くさせるのでした。まるで、火山の噴火でなくなってしまったイタリアの都市ポンペイを彷彿させるような風景でした。

実は、2005年の国勢調査では1世帯と1人の常住者が記録されています。

なぜなら、ここが無人島であった場合、定期船である船は就航できない規則だからです。しかし、廃校跡地を利用した自然学校や世界遺産の暫定リストに登録されている教会を活かしていくためにはそうせざるえないのです。また、偶然にもそのたったひとりの方にもお会いすることが出来ました。

無人になった島

無人になる島。無人になる地域。日本にはそういった可能性のある場所が山ほどあります。
自分が今島にいる理由を、改めて実感し、確信した瞬間でした。


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Posted by ヤマシタケンタ at 22:53│Comments(2)島に生きる
この記事へのコメント
下甑にあるゴールド集落と呼ばれている内川内のコミュニティセンターには小学校の跡地の記念碑が建っています。

それは30年前。

今年、下甑では今年度いくつかの小学校が閉校します。

その集落の30年後を想うと、やるせない。

今日、島のおばぁちゃんが味噌アメを食わしてくれた。
手作りであったかい味だった。
Posted by simopoza at 2011年10月26日 23:41
野崎島の川の地図がほしいのですが、お持ちでしょうか?
Posted by Aozora at 2011年11月10日 07:45
 
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