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列島会議

2011年05月05日

甑島という生き方

甑島という生き方

この島はずっと昔から、半農半漁の暮らしをしてきた。

あるときは、漁師。あるときは、百姓。

そして、あるときは、牛飼いとしてずっと生きてきた。

最近、あなたは何者ですか?と聞かれることが多くなったのだけれど、僕は「わかりません」と言う。それは、自分のしていることがわからないから「わからない」のではなく、何者かを聞かれてもそこに該当する答え方の検討がつかないのです。私は、会社員です。営業をしています。私は、土木作業員です。道路をつくっています。私は、ショップの店員です。雑貨を販売しています。

でもそれではきっと、あなたは何者か?の問いには応えられていないような気がする。

山下商店 KOSHIKI ART PROJECT 島米  made in KOSHIKI. ヤマシタファーム
島景再生 Engawa Cafe' 021 甑列島会議 しまなびガイド

ヤマシタケンタとして関わっている、携わっている事業や企画などを考えてみると、

半農半漁ではないけれど、
半農半アート 半農半デザイン 半農半ガイド 半農半まちづくり

働く場所が海でないだけで、以前の甑島と変わらない暮らし方をしていると思う。僕は「甑島という生き方」にずっと憧れてきた。この島を好きになりたくて、帰ってきた。何者でもない。ふつうのひと、甑島のひと。この島に何を求めるかとか、この島をどう変えたいとかそんなことよりも、リアリティのある場所で、


ひとりの人間として甑島という生き方をしたいだけだ。



ーーー


地方に住む人のほとんどが情報の消費者であって発信者ではない。
地元で始まったことはパリやNYや東京から発信されるものよりも劣っているという前提の上で地方のすべての意識は始まる。日本の地方は独自の文化とプライドを失ったが、世界でもっとも裕福なレベルに近い生活を過ごしている。しかしそれはプライドを失った代わりに飢えること無く死ぬまで消費する権利を与えられたに過ぎない。

自分たちの住む町で始まった文化が日本で世界で評価されることで日本の地方はプライドを取り戻す。そのためには何が起ころうと何を言われようとプライドを捨てずに続けることが大切だ。そういった誇りを持って働ける人物が何人いるかでその町や国の価値が決まる気がしてならない。

ロックンロール・ストリート・スライサーズ
メインヴォーカル デーモン秀島(10万38歳)


※秀島さんは、岡山のふつうのパン屋(笑)


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Posted by ヤマシタケンタ at 11:28│Comments(0)島に生きる
 
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