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列島会議

2010年12月20日

幸せの条件


どんなに島が経済的に潤ったとしても、この地域に住むひとびとが、本来の自分の姿で生きていなければ、島の心が永遠に満たされることはない。

島の暮らしは豊かになったというけれど、あれから本当に幸せな日々を送ってきたのか。島の現状をみていて、僕はまだ分からないでいる。

ジッタクイ

島にはジッタクイがあった。ジッタクイとは、方言で、雨の日になるとぬかるんでしまう道や水溜まりのこと。

今のこどもたちは、ジッタクイの方言の意味を知らないという島のおじさんがいた。親が方言を話さないからだ、と。

僕は、それだけじゃないと思った。

島の道は舗装されて、ジッタクイそのものがなくなったからだと思った。

産業構造の四割以上を土建業に関わるひとたちが占めている甑島。もしかすると、島はそんな経済の奴隷になっているんじゃないかって思うと、とても哀しくなった。

また、地域の文化は、地域産業・経済と確かに繋がっているんだと実感した小さな瞬間でもあった。

僕らに残されてきたもの、残されなかったもの。それらを感じ取り、この島のこどもたちに僕らが、今度は何を残すか、なにをつくるのか。変革の時は、近づいている。

それは、冬のど真ん中にいるときにも、静かに春の気配が近づいているように。甑島の夜明けが、もうそこまでやってきている。

島に生きる幸せの条件を満たすためには、なにが必要なのか、もう一度考えてみたい。この島に誇りを抱き、夢をみて帰ってくるのだろうか。僕らは、帰ってきたときに、受け入れる準備はしているだろうか。

観光や、新産業、ここに生きていく島のひとたちがしあわせに生きるための活動でなきゃ、どんな仕事も、どんな政策も、プロジェクトも意味がない。

大学の教授や、地域興しで有名な方の講演や、指導、ワークショップなど、いろいろあるけど、本当は、自分たちがその主役であることに気が付けなければ何度やっても意味がないと僕は思ってる。

島に幸せに生きる条件って、地域社会と向き合いながら、自分を幸せにしていく条件のことかもしれないね。

※写真は、こしきアートプロジェクトの地元スタッフの美鈴さん。美鈴さんは、郵便局に勤めながら、島のパティシエとして腕を磨いています。


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Posted by ヤマシタケンタ at 12:00│Comments(0)島に生きる
 
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