好きになること

ヤマシタケンタ

2012年06月05日 12:45

3ヶ月ぶりの更新・・・(ブログのトップ画像を変えました。)この写真は、ぼくの好きな写真の1枚で、昭和40年頃の上甑島里町で撮られたものです。シノーゴヤとよばれる小屋の葺き替え作業を地域の人びとがモヤー(集まって)でしているところです。

東京・表参道でのイベントからおよそ3ヶ月が経ち、そのあいだに島米こしひかりの田植えや春じゃがの収穫、新商品の開発、しまなびガイド、そして新会社(東シナ海の小さな島ブランド株式会社)設立。などなど、様々なことがありました。おそらくぼくが早死にすると言われる所以です(笑)いま、ひとつひとつのプロジェクトや商品、農業技術の精度を高めている途中にありますが、今年は自分にとって大切な一年になるような気をふつふつと感じています。

あと半年もすれば、甑島にUターンして3年が経ちます。
ひとつの目標としていた3年以内に豆腐屋を開業するという目標は、もうすぐのところまできました。今、あらためて多くのひとびとに感謝しています。家に帰るのはいつも夜中。夜中に帰ると分かっているのに、決まって夜の7時になると父親からの電話が鳴る。「けんた、めし!」たった一言しかないこの何気ない会話が、家族という存在の有難さ感じさせてくれています。「ごめん、先に食べてて・・・」といういつもの返し言葉。本当は、ごめんではなく、ありがとうって思っています。

農業は、好きで始めたこと ―

おそらく多くのひとがそう思っているのかもしれないですが、僕は決してそうではありませんでした。もちろん農業学校などへは一度も通ったこともありませんし、実家が専業農家というようなこともありません。農業のイロハとなる部分さえも全くと言っていいほどわからずに僕の農業は始まったのでした。だからわからないことがわからない状態で、なにがうまくいっているのか、何がうまくいっていないのかを理解するまでに時間がかかり、ようやくその輪郭が見えはじめてきました。

草を取るのも一苦労、種を蒔くのも一苦労、稲を収穫するにも一苦労。一つのことだけを知っていてもだめで、多くのことを知らなければこの島で農業を生業として続けていくのは難しいということを知りました。土地も限られている、資材もない、堆肥も無い、市場もない、農家もいない(畜産以外)、輸送コストもかかる。ただ、自分で食べるだけの自家消費なら十分ですが、生業とするには不十分。その不十分すぎるほどの地域農業だったからこそ、自分の生涯の限られた時間を使ってやるべき何かがあるんじゃないかと思えるようになりました。

好きこそ物の上手なれ。

好きで始めたことではなかったからこそ、好きになる為の努力が自分には必要でした。その努力を怠ってしまったり、なにかのせいにしたり、いいわけをしたりすることは、今の自分を支えてくれている多くのひとびとや自分の過去をうやむやにしてしまうことだと思えたのです。一度きりの人生を大切に生きていきたいと言っている自分が、まず、自分自身を大切にしていない。それでは良い商品やいいプロジェクトは生まれないし、いい人びととも出会えない。すきになること。それが、上手になるための第一歩。

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