2011年02月12日
ケンタ
ケンタッキー・フライドチキン。
そう、略してケンチキ。
京都での学生時代、ケンチキ行こうよ!って、友達に言うと、???な顔をされた。その後のニックネームは、一時期ケンチキだった僕(笑)鹿児島じゃ、ケンチキっていうんだよ!!!って力説しても誰も信じてくれなかった笑い話。
ケンチキこと、ヤマシタケンタ、ではなく(笑)、創業者のカーネルサンダースのこと。
彼は、40才のときに、ガソリンスタンドの一角を借りて、6席だけでの小さなレストラン「サンダース・カフェ」をオープンさせました。
しかし、高速道路建設の影響を受けて65才の時に店を閉店してしまいました。
資産の殆どを失ったカーネルサンダースは、この逆境から世界初の「フランチャイズビジネス」を生み出しました。
フライドチキン片手に「フライドチキンの調理法を教えるから、かわりに売り上げの一部をくれ。」というものでした。
なんと、ことごとく1009社もの会社に断られました。しかし、彼はそれでも諦めませんでした。なんと、1010社目の会社訪問で契約をとり、ここから「ケンタッキー・フライドチキン」こと、ケンチキの歴史が始まったのでした。
と、自分に言い聞かせています(笑)
自分の信じられるものは、何か。自分にできることは、何か。それは、きっと足元に転がっているはずです。
そう、略してケンチキ。
京都での学生時代、ケンチキ行こうよ!って、友達に言うと、???な顔をされた。その後のニックネームは、一時期ケンチキだった僕(笑)鹿児島じゃ、ケンチキっていうんだよ!!!って力説しても誰も信じてくれなかった笑い話。
ケンチキこと、ヤマシタケンタ、ではなく(笑)、創業者のカーネルサンダースのこと。
彼は、40才のときに、ガソリンスタンドの一角を借りて、6席だけでの小さなレストラン「サンダース・カフェ」をオープンさせました。
しかし、高速道路建設の影響を受けて65才の時に店を閉店してしまいました。
資産の殆どを失ったカーネルサンダースは、この逆境から世界初の「フランチャイズビジネス」を生み出しました。
フライドチキン片手に「フライドチキンの調理法を教えるから、かわりに売り上げの一部をくれ。」というものでした。
なんと、ことごとく1009社もの会社に断られました。しかし、彼はそれでも諦めませんでした。なんと、1010社目の会社訪問で契約をとり、ここから「ケンタッキー・フライドチキン」こと、ケンチキの歴史が始まったのでした。
と、自分に言い聞かせています(笑)
自分の信じられるものは、何か。自分にできることは、何か。それは、きっと足元に転がっているはずです。
Posted by ヤマシタケンタ at 09:05│Comments(0)
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