島立ちの日に
毎年、この季節になるとこの記事を書いている気がするけれど、今年も懲りずに書こうと思う。ただ、この「15の島立ち」を書き続けるのは、もはや過去の思い出に浸るとかそういった一時的な感情ではなくなったような気がする。僕自身が島に帰り、島に住み始めたことで、この旅立ちの季節が、島の将来を想う大切な節目なんだと思えるようになったから書き続けるんだと思う。
なぜ、一度離れた島へと帰ってきたのか。
いま、甑島を離れゆくこどもたちを見送りながら、僕は感慨深い気持ちになる。
日本一の騎手になりたいという夢を抱えた15歳の少年は、東京競馬場の芝ではなく、こうして故郷の雑草の上に生きている。「アメリカの嘘くさいドキュメンタリー映画監督みたいなひげ」もしくは、「どっかのガソリンスタンドの兄ちゃんみたい」といわれながら、日々けなげに生きている(笑)
当時の夢は、東京に置いてきた。
15歳で夢の全てを失った。時折、当時の苦しさを思い出す。人生のどん底をみた気がした。生きた心地もしなかった。挫折とか、憔悴とか、不安とか、初めて知ることになった。掴みかけた騎手の夢を諦めた日、僕は母が送ってきた一枚のチョコレートにかじりつきながら、新宿駅で泣き崩れた。
最近になって、ようやくあれが人生の転機だったんだと思えるようになった。あの時、両親に向かって伝えたことを今でも覚えてる。
「これは後退ではなく、前進。」
辞めること、諦めることが前進かどうかなんて15歳の僕にはわからなかった。でも、そうして自分をごまかすことで前に進むことができる気がしたから、やっぱり正しかったんだと思う。その日から今日までのあいだ、一日もその言葉を忘れること無く、それを現実にするためにずっと生きてきた。その言葉を背負って生きてきた。
あの頃の自分は、もういない。
アメリカの嘘くさいドキュメンタリー映画監督でも、ガソリンスタンドの兄ちゃんでも、うかない百姓でも構わない(笑)生きる上で大切なことは、家族や親戚、近しい仲間や友人たちが教えてくれた。最後に決断するのは、自分。だけれど、いつだって誰かに愛されて、誰かの支えの中で生きてきたことだけは、どんなときも忘れないようにいたい。
島立ちの日に思うー
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